歩いていても 車を運転していても
暑い
汗がタラタラ 💦💦💦
夏モノ未だ現役
散歩に出ても
井戸の上で道路を走る車をボーッと見ているくまねこ
眠くなってしまっても 偶に通る大型ダンプの音で目が覚めてしまう
(゚д゚)(。_。) 痒い痒いかいかい
指の間 虫に刺されたみたい
暑くて詰まんないよ~~
真夏の様に暑くても
落ち葉が目立つようになりました
偶には 家庭菜園(最近は家庭雑草園ともいいます)の収穫もありますよ
枝豆(最後です) 冷やしマメにしておいしくいただきました
オクラの株が2本隅の方に残っていました
艶ッ艶の紫ピーマンはお勧めですよ
アントシアニンが苦いらしく虫はほゞほゞ喰いません
ただ火を(熱を)通すと紫色が青っぽくなります
ナスの様な色で如何にも不味そうで(笑)
駄菓子菓子
加熱後の味は普通ですよ
食べ物にあるまじき色合いじゃニャ
最近 女将は徘徊するのがマイブームになり
アッチコッチに出没しております
地域の不審者情報に載らなければ良いが
高齢者の徘徊は 迷惑ですからね
今日はこちらの方へフラフラと足が向いてしまいました
その昔
母が存命だったころ
こんなことを
「川を越えて行った右側にお墓があって,骨を拾ってその上に団地ができて・・・↑この道の事だ。これってもしかして今は無い東崎館の事でしょ。
道の左側にも高い所にお墓があって,夜通ると島田を結った女の人が出たそうだ。祖父が実際に夜中に通ったら見たと言っていたそうだ。」
祖父もコンナ事を
「〇〇さんが、夜中にこの道を歩いて家に帰る途中、道の脇で何人かで宴会をしていた。一緒にどうぞと言われていい気分でお酒を飲んでお風呂に入って寝てしまった。目が覚めると素っ裸で肥溜めの脇に転がっていた」とか
何とも怪しい話ですが
昔は、この道で
タヌキだかキツネだかに化かされたらしい
中には事実も含まれていて(母の話のアンダーラインのところ)
「東崎山」に一重の堀と土塁があったそうだ。堀は深さ1.5m,幅5mぐらいあったらしい。「水府志料」に「一ヵ所は,藤崎と云字あり。二三町四方,圷縫殿之介と云う者在りといふ」とある
昭和30年半ば頃,県営住宅が出来,ブルドーザーで館を整地したため消滅した。
その消滅した東崎館跡の欠片を覗きに行ってきました
途中から田んぼ道を歩きました
あそこに 目的の土塁の欠片があったはず
旧道入り口に到着です
バイパス道が随分高くて旧道からは坂道に見えました
仏像の後ろのツタ植物・クズの所が
16年前(2008年)は篠竹藪でした
2008年の写真
この写真では盛り上がりが分かり難いです
分かり難いですが此処が少し高くなっていて(恐らく土塁)
東崎山の東崎館があったころから変わらないと 館主の子孫の方が話してました
今は篠竹が切られてクズになっているので
地面の盛り上がりは
当時に比べて
見やすかったです
仏像の後ろ側の地面の盛り上がり
畑側からの盛り上がりが分かりやすく
冬が来れば高さも測れそうです
バイパス側からはチョット意味不明っぽいですが
実際に見ると盛り上がりがハッキリわかりました
クズを毟りとってみたかったです(笑)
旧道入り口
2008年の時と変わってませんでした
1947年の空中写真
東崎館跡のある東崎山 樹がモリモリでした
黄色いラインは道(福田 ⇔ 菅谷)
昭和30年代半ばころ 県営団地が出来る前に
バイパスが東崎館跡の南の方を貫通しました
写真は1961年
現在の様子 グーグルマップで見ました
ワインカラーの枠が東崎館跡があった所
こんな感じだったのでしょうかね 2008年に書いたのを加筆した
以前はタヌキやキツネに化かされる話が罷り通る程寂しい場所でしたが
今はタヌキやキツネは普段は見かけない場所になりました
同時に
中世の遺構も姿を消してしまいました
当時の館跡の高いところに有った羽黒神社は
今は北の方に遷って
左から荒比古権現社,羽黒神社,東崎稲荷神社 で合祀されています
2008年 冬 現在の写真
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最後までお読みいただきましてありがとうございました
ではまた@
fin