1月2日に初詣で訪れた木花咲耶姫神社の後ろの土盛り
近所の方からは「神社だよ」としか聞き取りが出来ませんでした
帰宅後調べた文献からやはり 古墳 でした
文献は 国会図書館 デジタルコレクション 那珂湊市地名研究会編「那珂湊の地名」那珂湊市、1986.3.
他にいばらきデジタルマップ等でも確認しました
1月2日に詣でたときの記事はこちらを参照してください
👉 負傷(=^・^=) & 酒列神社、木花咲耶姫神社とオアナサマ - 猫屋の女将
文献によりますと木花咲耶姫神社の後ろの土盛りは
名称 大穴塚古墳 通称 オアナサマ と言い
大型有段円墳である
木花咲耶姫神社の裏側に 横穴式石室の羨門が開口している
という事なんですが
有段円墳とか、横穴式石室の羨道が開口してるとか気になって仕方ない
気になる事を確認するためには 確認できるまで現場に足を運ばねばなりません
というわけで早速 GO
先ずは酒列磯崎神社の駐車場に車を止めて
此処の境内も駐車場付近も磯崎東古墳群と言い古墳だらけなんです
なんと54基も確認されています
お参りをして
樹叢のトンネルを通り
酒列磯崎神社から出発しました
間もなく 土盛り上・墳丘上の樹が見えてきますが
通り越し
次の通りから 大穴塚古墳の西側に回り込みました
畑を挟んで
全体が良く見えます
駄菓子菓子
古墳が円墳 というのは良く分かりますが
段 が 分かりません
裾部と墳頂の間に枯草の帯のようなところがあり
邪魔になって古墳の形が良く分かりませんでした
少し角度を変えて(空地の関係で少ししか角度を変えられません)
墳丘の向こう側に家の屋根がチラ見えしています
やはり枯草と木の影が被って
西側からは分かりませんでした
直径60mの大型円墳て! 60mあるのかな?50mくらいかな?
古墳の反対側に民家が3軒ありましたから
見当が付きませんが大きいと思います
グーグルマップで見てみると
大穴塚古墳の記載はなく木花咲耶姫神社になってます
此れで大きさを計算すると 直径約40m~くらいでした
振り向けば 西側に川子塚古墳(@ ̄□ ̄@;)!!
約200m離れたところにあります
川子塚古墳の南・東側の裾に家が食い込んでるように見えますね
では
木花咲耶姫神社側・東側から
ところで、木花咲耶姫神社の参道が真っ直ぐではありません
参道をまっすぐ進んで
鳥居をくぐるところで
右に曲がります
参道が曲がった神社 色々とあるようですが
その件はさておいて、今回は触れません
お正月以外で初めて参拝しました
社殿の後ろに大穴塚古墳があります
社殿の右側から回って
社殿の後ろ側 どうなっているのか ドキドキ しますね
ところで 社殿の周りにヤケに石が積んであるのが目に入りますが???
石は石室に使用されていたものなのかな?
見えました
でも
穴 開いてませんでした
穴に蓋をした見たいな感じで
平たい石が開口部と思われる個所を塞いでいました
あらー これ砂岩なのかな?
浸食された海の石???なのかな サッパリ?
どうやら内部は土砂で埋没してるようで
天井石が入り口をふさいでいるような形になっているように思いました?
S15年の測量調査では
自然石積みの横穴式石室
全長約5m、玄室長約2.1m、玄室高約1.8m、玄室幅約1.5m だそうです
を参考にさせていただきました
※ 平成28年度 ひたちなか市内遺跡発掘調査報告書、 那珂湊市遺跡分布調査報告書 等に目を通しましたが大穴塚古墳の発掘調査報告書は見つけられませんでした
参考
ひたちなか市埋蔵文化財調査センター | 公益財団法人 ひたちなか市生活・文化・スポーツ公社 の
よく見ると社殿は
古墳の裾から一段上?少し上?の辺りにあるような感じもしました
社殿の右側から見た古墳の盛り上りが急で段があるような感じです
そして墳頂に立って西側 見難いのですが斜面が段になっていました
裾に向かってなだらかではなく、もこもこ?したような
お皿を伏せた上に伏せたお椀を乗せたような感じ これは段でしょうね
丁度 枯れ草が残っているところが段になっているように思えました
これが 有段円墳 なのかな
墳頂はこんもりとした感じでした
境がはっきりはしませんが、
天辺の墳丘の盛り上がりが急で 段になっていますね
青まるで囲んだ部分がこんもりと盛り上がっていました
墳頂から眺めて、西に見える森が約200m先にある川子塚古墳です
尖った屋根が木花咲耶姫神社です
現場でもそう思いましたが
撮ってきた写真を見ても墳丘は可なりの盛り上がりがありますね
墳丘上には切り株はありましたが
特に目立つ石などは見当たりませんでした
ということで
オアナサマ の検証結果です
・大穴塚古墳は開口部が埋まってしまっていました
社殿が建てられるときに埋まってしまったのでしょうか?
社殿の周りに積みあげられた石は、大穴塚古墳は自然石積の横穴式石室ということな
ので、玄室や羨道を作っていた石なのかもしれません(推測)
・墳丘に段があるので有段円墳ということは分かりました
何段かは良く分かりませんでしたが 資料より3段築成だそうです
・築造年代は古墳時代終末期だそうです(ひたちなか埋文だより37号より)
矢張り現地に足を運ぶのは大切だと思いました
あとは文献を探し、更に深堀出来たらいいのでしょうね
さすがに木花咲耶姫神社の裏側・オアナサマの開口部付近はグーグルマップのストリートビューでは見れませんでした💦
墳丘中央には落葉するドングリの樹(ナラかブナ)が1本と
墳丘や墳丘の裾に常緑のツバキの樹が沢山あり少し花が咲いていました そろそろ花の季節ですね
何方かが意図的にツバキを植えたかの様にツバキばかりありました
帰宅後
くまねこの散歩に陸山かあさんも付き合ってくれました
陸山かあさん 先ずは安全確認とにおい付けに余念がありません
くまねこはツメの研ぎ具合も上手く出来たので早速鳥を追いかけていました
ハーネスを外して猛スピードで走ります
(-ω-;)ウーン逃げられた
何回追いかけても捕まらないものですね
疲れて陸山母さんとねこ塚?ごみ塚の前で何やら話をしていました
暖かい日だったので
くまねこは
走り疲れたのかねこ塚とモグラ塚の間で居眠りをしていました 💤
いつの間にか遠出から帰って来た空も近くで日向ぼっこをしていました 居眠り?
女将の家でも少~しワビスケツバキが咲き始めました
最後までお読みいただきましてありがとうございました
ではまた@
fin